私がまだレズビアンを自認していたころ、職場の男性バイザーが気になっていた。
職場の男性バイザーは、私と同じリハビリ職。
入職して10年目だったと思う。
私がまだひよっこで入職したため、技術や着眼点など、様々なことを教えてもらった。
特にバイザーは嚥下が得意分野で、入ってくる患者さんも嚥下に困難がある方たちだらけだったので、お互いWin-Winの関係のようだった。
おかげで私も嚥下の知識がみるみる付きまくった。
(だが、私は構音障害や失語症分野に興味があったので、良かったのやら悪かったのやら(笑))
そんなバイザーであるが、私はバイザーのことが好きだったと思う。
頭の隅っこでは彼女のことを想いつつ、目の前のバイザーに惹かれていた。
年齢は30代後半。
風貌を例えるなら、ドラマ「逃げ恥」の星野源演じる平匡さんみたいな感じ。
動物言語学者の鈴木俊貴教授にも似ている。
猫背で、夏場にどうしたらこの白さ保てんの?と聞き返したくなるぐらいの色白。
入職して10年目で、中堅どころのはずなのに、年下の他リハ職に少し文句言われただけで、休憩室でボロ泣きしちゃう先輩だった。
男女差別になってしまうから、あまり表立って言えないが、男性が目の前で、素でボロ泣きしているところを初めて見て、正直ドン引きしたのはここだけの話。
こんな先輩のこと、なんで好きだったんだろう。
意気地なしの先輩だが、嚥下や患者さんへの対人技術はピカイチだったからかもしれない。
また私がいくら失敗しても、笑って励ましてくれたり、臨床上で悩んだことをとことん考えてくれたのも、好きの要因だったと思う。
そこからだんだん好きになって、トドメのスーツでノックアウトだったなぁ。
リハビリ職は基本ケーシーを着て働くので、同僚のスーツ姿などなかなか拝めない。
あざといのか分からないが、私はそこでノックアウトしてしまったのだ。
めちゃくちゃ恥ずかしいし、単純だ(笑)
しかし、そんなある日。ある疑念が渦巻くようになる。
出勤し、朝の支度のために部屋を清掃していると、一枚の名簿が出てきた。
リハビリ職全員の名前が記載されている。
清掃中に何とはなしに眺めていると、バイザーの名前がない。
ん……?と改めて探してみると、なんと、いつもバイザーが名乗っている苗字と異なるのだ。
なんでだ……?と疑念が晴れないまま、どうにか臨床を終えた。
朝の一件をバイザー本人に聞くわけにもいかないため、その後の飲み会で、仲良しの他のリハビリ職の先輩に聞いてみたのだ。
案の定、先輩は結婚していた。
数年前に結婚し、職場では旧姓を名乗っているらしい。
(私が一方的に片思いしていたとはいえ(笑))とんだ詐欺師だと思いつつ、バイザーのことは何も信じられなくなっていた。
季節は過ぎ、頭の隅っこではバイザー苗字詐称事件が残っていたものの、態度で急に示すわけにもいかないため、以前よりはつかず離れずの距離感で過ごしていたときのこと。
バイザーと私は、ある日残業になり、職場のリハビリ室でかたかたと臨床記録をまとめていた。
リハビリ室には、私たちのほかに1人、まだ男性スタッフが残っていた。
3人でかたかた打ち込みながら、駄弁っていると、恋愛の話が浮上した。
私以外の二人は結婚をしていたそうで、各々が結婚生活の話をしだした。
するとバイザーが、結婚数年目だが奥さんとはほぼ別居だということをバツが悪そうに言った。
点と点がつながった。
目の前でバイザーが話すたびに、私はサーっと気持ちがしらけていくのを感じた。
こいつは、ただ浮気がしたかっただけなんだ。
名簿を見た時点で明らかだったが、明確化された気がした。
社会に出るまでに、創作物で不倫という概念の作品は腐るほど生み出されてきた。
小説に、ドラマ。アニメに、漫画。
しかし、私は不倫モノが苦手だし、どうして人のものを盗ろうとするのは甚だ謎だった。
不倫なんてしたら、慰謝料だって莫大に取られるし。
自身の将来を壊してまで、目の前の人間をとるだろうか、と。
しかし学んだ。
この世界には、ナチュラルに悪気なく、結婚していることを隠している人間がいるのだと。
そして何も知らずに、どんどん足を踏み入れたら最後。
自分の人生のみならず、相手の奥さんや子供の人生までも壊してしまうことになることを。
その点、私は名簿の件しかり、世間話しかり、踏みとどまるきっかけがあってよかった。
そして、この事件から数年経ったいま。
あの頃を振り返り、なぜあんなに沼っていたのかと謎に感じる。
恋なんてそんなものか。