詩が書けなくなってから

小学生の頃、詩を書くのが好きだった。

 

自宅の近くの大きなイチョウを下から眺めながら、思い浮かぶ言葉を

徒然なるままに書きとり、詩を書いた。

下手くそだったかもしれないけど、短い秋にしか見られない紅葉姿を切り取ることで、

いつまでも素敵な情景を残せていたのだ。

 

いつしか詩を書くことが怖くなった。

 

詩を書いていると、変なやつ、きもいやつだと後ろ指をさされた。

「なにこれ?」と、笑われた。

イラストを描いている子は、みんなから尊敬されるのに、

詩を書いている人は中二病だと笑われる。

 

私は、詩を書くことをやめた。

だって恥ずかしいことらしいし。言われてみれば恥ずかしい言葉を並べているように感じた。

 

おしゃれな服を買って、雑誌を買って着こなしを勉強して。

普通の小学生女児に見えるように、周りから浮かないように、詩を封印した。

 

 

それから二十年弱経過し、私は立派なアラサーになった。

あれから、ただ「普通」に適応しようとした大きな人間になっただけだ。

中身はあのころから変わらない。

いや、逆にあの頃よりも、尖った個性を失ってしまったかもしれない。

あの頃よりも見える風景はドブ色になり、鮮やかな色彩は網膜を通らない。

 

ある日、ずっと行きたかった花巻旅行を計画した。

花巻は宮沢賢治の生まれ故郷として有名だ。

そのため、彼の作品をもう一度読み直してみることにした。

賢治作品に触れるのは、小学生ぶりだった。

 

彼の作品に「春と修羅」がある。

生前、彼が唯一出版した詩集なのだが、読み進めるごとに涙が止まらなかった。

彼の作品は難解で、解釈が非常に難しい。

しかし、読み進めるごとに、文字が生き生きとしているのだ。

読むごとに、情景が頭の中に再現されていく。

何にも臆することがない。

彼のまっすぐな性格が、豊かに展開されているのだ。

 

私が表現したかったものは、これなんだと感じた。

詩は中二病の表現ではない。文学的な側面を多分に含んだ表現方法なのだ。

 

 

もう私は臆することはない。